110年前に勃発した第一次世界大戦の時、静岡市には107人のドイツ人捕虜が3年半余りの間収容されていました。1915年4月13日にドイツ人のグスタフ・マタイス氏が戦闘中の傷がもとで亡くなられました。ご遺体は葵区沓谷にある旧陸軍墓地に丁重に葬られました。この頃の日本は欧米列強に肩を並べようとしていた時代であり、当時の日本人は、収容所にいたドイツ人からさまざまな技術を教わりました。
札の辻の伊勢丹前にあった「八木パン」では、ドイツ人から製造方法を教わり、静岡で初めてドイツパンの製造販売をしました。そのパンは市民にも人気があったようです。また、収容所の隣にあった静岡師範学校のグラウンドでは師範学校の先生や学生にサッカーを教え、蹴球部が誕生するなど、静岡でのサッカーの始まりとも言われています。それ以外にも静岡県の工業技術研究所での技術指導など、静岡の産業の発展にも寄与しているそうです。当時の日本人の礼節や矜持、平和の尊さを未来に受け継ぐとともに、静岡とドイツの歴史に思いをはせながら交流を深めていきましょう。
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